2017年11月28日

三女と二人旅

三女と四女と母の三人でこっそり東北旅行を企画してたんですが
四女さん当日熱出して、ぎりぎりまで迷ったけど四女はお留守番
三女ユイと母の二人で盛岡へ〜。
口達者で活発な四女とけんかしつつも仲良く一番面倒をみているユイなので
「さびしいね〜?」と新幹線で言うと「静かでいいやっ」て。

いつもは姉や妹が常に一緒で、姉妹のなかにいての母との関係だけど
二日間は一対一。
啄木とか鉄器とかより食欲第一の三女、目につく美味しそうなものを次から次に食べ
念願のわんこそば42杯食べ、大好物の冷麺も食べ常に満腹。
たぶんほかの姉妹がいたらあれ食べたい、え、あっちがいいってちっちゃい騒動が
起こりそうなところもそんな心配もなく。

ホテルの鍵を誰が開けるかでももめてただろうけど、そんな心配もいらず
暗証番号をささっと覚え、ヌケヌケの母さん(暗証番号の紙をすぐなくした)助かりました−。

結構な雪が積もっていて一人雪の中を駆け回って、のびのびしてました。

こんな時間はなかなか持てないからね、貴重な二人旅でした。
posted by miyuki at 16:32| Comment(0) | とりまく家族のこと

2016年10月22日

目的にまっしぐら

リコはよく、暗い部屋で本を読んでいたり、宿題をやっていたり絵を描いてたりします。
あまりにも暗いのであわてて電気をつけてあげます。
「ちょっと、目悪くなるよ!!明るくしてからやってよ!!!」
もう何回言ったかな。

で、母のわたし。
制作物を作る部屋で深夜にちょっと制作していると、夫がきて
「ちょっとちょっと!電気つけてよ!!なんでこんなに暗いところでやってるの!!!」
と言われる。これ何度言われたかな。
あはは、リコと同じだ。
「それ、私、リコにいつも言ってるんだよね」と苦笑です。

だからリコが電気つけない理由がよくわかるww

こんなふうだから、夫からするとリコとわたしはほとんど同種にしか見えないらしい。
posted by miyuki at 11:23| Comment(0) | とりまく家族のこと

洗濯物

母のわたしですが、洗濯物を干すのが苦手です。
家事全般好きじゃないですが、特に洗濯物。
特に濡れた洗濯物が触れない。
手のひらはくらいまでは触れるけど、腕とかに濡れたものが当たるときもい。
だから、裏返しに脱がれたズボンやらシャツやら、
手を入れて返すことができないです。
だからそのまま干す。
子どもたちに、裏返しに脱がないでと言っても
だいたい裏返しだな…。
自分も小さい頃から皮膚感覚が過敏で、幼少時のある不快だった服の感覚とか今でも覚えてます。
小学生の頃は大丈夫な2着の服のみを一日置きに着ていたし。
最近はほとんどそういう不快感は感じていないけど、
濡れた洗濯物だけは毎朝格闘。
posted by miyuki at 11:17| Comment(0) | とりまく家族のこと

2013年06月21日

一歳半検診、発達相談

四女のイマの一歳半検診がありました。
一歳半の発達の目安として、意味のある言葉4語・大人が言った名前の物を指さす
という基準があります。
イマはこれをクリアしなかったので、発達相談に居残りになりました。
犬、電車、滑り台、アンパンマン、車…などの写真を広げて
「アンパンマンはどれかな?」と聞かれます。で、イマは無視。
家でもそのようなことを試したことがありません。
絵本を読んでいても、なんか他のことに気が散ってあまり関心がないような。
発語は「でたー」「マンマ」「おかーさん」
意味が分かってるのかは不明です。やたら「でたー」と言ってますw。

発達には環境要因が大きく関わってくると思いますが、
イマの場合ほとんどの遊び相手は姉3人。
誰かがピアノを弾けば横にすわりボタン押し遊び、リコが膝に乗せて
宿題をやれば、一緒にえんぴつをもってお絵かき、
ミチがテスト勉強をすれば、机に登って机あさり…。

子どもは自分のペースで遊び、話すので文章が比較的長く
赤ちゃんの言葉の発達、特に単語と物を結びつけるには向いていません。
赤ちゃんと向き合って短い言葉を使って繰り返しインプットしていく必要があります。
イマにはそういう機会が少ないです。

その結果が今回の検診で現れたんだと思います。

必然的にリコの小さい頃と比較してしまいますが…
リコの場合赤ちゃんの頃から敏感さが如実に表れていましたが
イマにはそういう感じがないので、あまり心配はしていません。

ただいろんなレベルの発達の偏りがあるので、2歳でもう一度言葉の発達度を
みることになりました。

こんなことを子どもたちに話すと、3人の姉が入れ替わり立ち替わり
物の名前を大声で教えるようになり、ちょっとイマは迷惑そうにしています。



posted by miyuki at 21:57| Comment(0) | とりまく家族のこと

2012年02月07日

大正2年

大正2年、第一次世界大戦の頃に生まれたウチのおばあちゃんは、
ミチくらいのときに関東大震災を経験し、わたしくらいのときに第二世界大戦で疎開し
3人の息子たちを育てながら高度経済成長期を生きぬきました。
一時は中央線沿いでカフェを経営し、有名な作家が立ち寄り映画話に花を咲かせたり
息子が銀座でトンカツ屋を始めれば女将として切り盛りし、ハツラツと暮らしました。
その後はアパートで一人暮らし。
私が夫を通じておばあちゃんと知り合ったのはこのころ。
おばあちゃんのアパートの隣に部屋を借り、時々おばあちゃんの部屋でご飯を食べたり
買い物を手伝ったり、庭で土いじりをしたり、日曜日にコーヒーを飲んだり。
血縁のない私を、いつも自然に受け入れてくれました。
江戸っ子で口は悪いけど、逆にそれが心地よく、遠くに住む実家の両親のあれこれや
困ったことに耳を傾けユニークな答えをしてくれました。
どんな悩みにも味方になってくれて、ついつい込み入ったことまで話したくなる。
ミチともいつまでも遊んでくれ、イタズラにも寛大。寛大すぎるくらい。
小さいことは気にしないしケチケチしない。やりたいことはやらせる。
どうせミチは全部食べられないから、と私があんみつを小分けして出そうとすると
「全部出しなさいよ、残したっていいじゃない」といい、子供が喜ぶことを第一に考える。
きっと息子たちにもそうやって接して来たんだろうと感じる。
おばあちゃんも含め大家族で同居して8年。
ミチ、リコ、ユイと一緒に何度食事をしただろう。
何度遊んでくれただろう。
98才のおばあちゃんは昨日、義母に手を握られて人生を終えました。

私にも子どもたちにもずっと優しかった。寛大だった。
おばあちゃんのように子供と接することが出来たら、子どもたちはもっと
のびのび出来るだろう。
楽しいことが増えるだろう。
おばあちゃんを見習って、私も少しは寛大になれているかもしれない。
でももっと子供に寄り添うのがおばあちゃん流。
おばあちゃん目指してがんばるよ。




posted by miyuki at 00:20| Comment(0) | とりまく家族のこと

2011年04月15日

いもうと

リコには2つ下の妹、ユイがいます。
おしゃべりも運動も生活全般も、早い時期からしっかりしていて
何でも自分でやれるし積極的。
最近は逆上がりもくるくるできるようになり、
まだまだビクビクしながらやっているリコから羨望(と妬み)の眼差を受けています。

リコと一緒に遊ぶ時間もユイが一番長い。だからトラブルも多い。
多くはリコのこだわりや悪い物言いが原因です。
慣れ親しんだ人には余計に自分を出すため、ユイはリコの難しさを
一番良く知っています。
トラブルが起こればその都度2人を引き離し
ユイには「今リコは難しいから近づかない」と伝えます。
ついつい父母が「ごめんね、リコが変な人で」と
トラブルで傷ついているユイにフォローすると、うんと頷きながらも
「リコちゃんはヘンじゃないよ」と言います。
いつも一緒に楽しく遊んでくれる大事なおねえちゃんなのです。

そして今日の夜。
ユイはベッドで読書。リコもベッドで読書+音楽。
父が同じ部屋にいることがリコにとっては安心材料で、この眠りが不安定な時期
とても重要です。
ところがしばらくして、リコの悲痛な叫び声が家中に響き始めました。
「おとーーーーさーーーーん!おとーーーーーーーーーさあああああん!」
もう、ただでさえ声が通る人が、甲高い声で叫んでいます。
寝室にいるはずの父が、どこかに行ってしまったようです。
慌てて父は戻ってきました。

リコは目にいっぱい涙を溜めて「どこにいってたの」とつぶやきました。

一方、読書中のユイはというと、大きな叫び声にも動じることなく読書を続け
父が戻ってくると一言、「おとうさん、ここにいて」と小さな声で命じたそうです。

リコのことをよーく理解してくれているユイ。
頼もしく、有り難く、リコと同じくらいたくさん誉めてあげなくてはいけない存在です。
posted by miyuki at 22:55| Comment(0) | とりまく家族のこと

2011年01月20日

97才。

一緒に住んでいる97才のおばあちゃんがいます。
夫の祖母なので血はつながっていないけど、私が東京に出てきて
一番親しくなった人かもしれません。
十数年前、古いアパートで一人暮らしをするおばあちゃんの隣の部屋を借り
3年ほど住みました。
庭がつながっていたので日曜日には庭先から長い棒で「コンコンっ」と
ガラス窓をたたいて私に挨拶をします。
そして淹れたコーヒーをお裾分けしました。
夜にはお隣のおばあちゃんの家にあがり、夕飯を一緒に食べたり、
どじょうを買ってきて料理してくれたりしました。
昔話や私の実家のこと、夫のことなんかをなんでも話します。
根っからの江戸っ子で、頭が切れ、理解があり、プライドも高く、
ついでに口も悪くとても話しやすくユニークな人です。

それから十数年経って一緒に暮らしていますが、一緒に暮らしている割には
アパートの時のようにゆっくりと話す時間もなく、いつもおばあちゃんの
部屋の前をダッシュして仕事をしている現状です。

そんなおばあちゃんがここ数日体調が悪く、水分もとらなくなり老衰の様相を
呈していました。
もう長くないかもしれないから、覚悟してね。と義母に言われ。
7年も同居しているくせに、いるのが当たり前すぎておばあちゃんをいつも
素通りしていたことがとてもとても悔やまれ、普段はあまり気に掛けない
おばあちゃんの部屋のドアをこっそり開けてのぞいていました。

そして今日のぞいてみると、ベッドに中途半端に横たわった状態で
意識もはっきりして手を振ってくれました。
ヘルパーさんとも会話していたし。復活してきたようでよかった。
しばらくするとおばあちゃん専用の「お助けベル」が家中に響き渡りました。
ヘルパーさんも帰ってしまい、義母も出かけていません。夫もいないし。
おそるおそる覗いてみると、おばあちゃんはベッドに座っていました。
どうやらトイレに行きたいらしい。「私でいい?」と断って
足下が心許ないおばあちゃんを抱えてトイレに連れて行きました。
介護用トイレではなく、普通のトイレに。
2メートルくらいの距離だけど「どっちかしら?」と確認されながら。
気丈にトイレを済ませまた支えられてベッドに戻りました。
ジュースを勧めるとおいしいわ、と飲んでくれました。

あとで義母に説明すると、介護用トイレはなんとか行けたけど普通のトイレには
体調を崩してからは行っていなかったとのこと。
私だったから気を強く持ったのかもしれない。
おばあちゃんのプライドがあったのかもしれない。
それとも私を信頼してくれたのかもしれない。
なんにしても、ちょっとの時間だけどおばあちゃんに向き合えたことが
私としてはとても嬉しかった。
posted by miyuki at 22:20| Comment(0) | とりまく家族のこと

2010年06月14日

何度目の手紙だろうか

日曜日の夕方、ミチはだるいといってご飯もあまり食べられず
具合が悪い様子。「学校行けるかな〜」とつぶやきながら。

「なに、だるいの?いつから?だるいのが続いたら病院だよ。
また熱かな、ちょっと微熱だね」
と心配していると、夫がすかさず
「なになに、いってごらん、なにかイヤなんでしょ」と。

そしてミチはみるみる目に涙をため、おばあちゃんも含めた家族の食事中
泣き出してしまいました。

以前から悩みの種だった、あるお友達がミチを抱きかかえるという問題。
小さくて軽くて(学校では)大人しいミチをしつこく抱いたり持ち上げたり
するお友達がいます。
一時期その波もおさまっていましたが、最近また始まったようで
手で鍵を掛けるようにミチを囲ってくるようです。
基本的に穏やかで気持ちの優しいミチは「やめて」と言うのが精一杯で
そんな言葉はお友達に虫けらのように押しつぶされてしまいます。

小さい頃から触られるのが苦手なミチにとっては、耐え難き事態のようで
微熱を出してまで学校に行きたくないと言い出しました。
こんなことくらい自分で解決してよ!と言いたくもなりますが
ミチの性格上、「やめて」が精一杯でどうしようもありません。

こんなとき、夫は「明日学校に行かなくていいよ」と言います。
おいおいそんな簡単に、と言いたくなりますが明快なワケがあります。
子どもがやっと悩みを打ち明けたのにそれを無理に行かせては
親に言っても無駄だと思うようになり、話すことをしなくなり
思い詰めてしまうかもしれない。

昔、口が災いしてヤンキーにぼこぼこにされた経験のある夫の
実感のこもった言い分です。

そうだね。母もそう思います。
でもそれだけの出来事で、ミチの貴重な6時間の学校生活がチャラになってしまうのは
なんかもったいない気がする。
授業を受ける権利があるんだから。

そんなわけで、先生に手紙を書き、先生の仲介で解決の方向に進むよう
助け船をだしました。
この一連の行為で、ミチはすこしずつ学校に行けそうな気持ちになり
慌てて学校の準備をし、床につきました。

母はミチとリコの先生に何度手紙を書いてるんでしょうか…。






posted by miyuki at 00:26| Comment(0) | とりまく家族のこと

2010年04月27日

皇后

我が家には97才のおばあちゃんがいます。
リコからすると曾祖母。根っからの江戸っ子でいつもおしゃれ。
ウチの隣には世界で名の知れた人がいるので、有名人が出入りしますが、
今日はびっくり美智子皇后陛下がいらっしゃるという噂を聞き
漫然とテレビを見ていたおばあちゃんも、急に元気になって
寒空の中車椅子で美智子皇后をひとめ見ようと外に出ました。
普段は人通りも少ない道路に、異様なほどの警視庁の人々が立っていました。
おばあちゃんと義母と私、道路の脇で美智子皇后の到着を待ちました。

おばあちゃんの年代の人にとって天皇の存在は私たちのそれとは
だいぶ違った重たいものがあると思います。
私はおばあちゃんの証拠写真を残そうとカメラ構えて緊張していたけど
きっとおばあちゃんはもっと緊張していただろうね。
ちらほらと集まってきた近所の人たちが、皆おばあちゃんを優先するように
場所を空けてくれました。

白バイ2台、護衛車2台に挟まれて美智子皇后の車がやってきました。
窓を開けてテレビで見るのと同じように手を振っていました。
おばあちゃんにとっては一瞬の出来事で、ちゃんと美智子皇后の
顔が見えたのかはわかりませんが
おばあちゃん、満面の笑みでした。
「しっかり見た?思い残すことはない??」と義母は聞いていましたが…。

おばあちゃんは美智子皇后より20才年上。おばあちゃんが大先輩だねえ。

***

リコの帰り道が警備で通れなくなっていたので迎えに行きました。
その頃にはお帰りになったようで、もうすっかり静かになっていました。
リコに、お巡りさんがいっぱいいて、皇后陛下が来たんだよと話しましたが
「だれ?」
と話が通じず、それよりも数日前人の家にはいってしまった
スーパーボールを取らなきゃと言う話に夢中でした。






posted by miyuki at 15:47| Comment(0) | とりまく家族のこと

2009年10月24日

注射

季節性インフルエンザの予防接種をやりました。
ウチの3姉妹、注射にめっぽう強いです。
まったく騒ぎませんし、じっと自ら覚悟を決めて打たれます。
相当我慢していることは伝わってきますが、泣いたりもせず
やられるがまま、目が点になっていますケド。
いつも言うことは「おかあさんも小さいとき注射やってたんだよ、
チックってしてそしておわり。ちょっとで終わるから別になんとも思わない…」
そんな話に暗示をかけられたように、納得しているみたいです。

昨日は熱で前回できなかったユイがやりました。
いつも耳鼻科でやりますが、念のため診察をしてもらうと
聴診器をしばらく当てて「不整脈があるね」とのこと。
これまで小児科ではそういうことは言われたことがないので
少し驚きました。
家に帰って聴診器で聞いてみましたが、そういわれればそうなような、
素人ではよくわからないような…。

注射で緊張して脈が乱れるようなことがあるのかな?
今度小児科の先生に見てもらおうと思います。



***

しいたけを育てています。生協のね。
夏はキクラゲを育てました。キクラゲも椎茸と同じような菌床で育ちます。
キクラゲは下に水を張って育てるのでちょっと面倒です。
夏場でもありカビも生えやすく…。

その点椎茸は霧吹き程度で済むし、育ちがやたら早いし気軽に育てられます。
夏場、モシャモシャに生えるキクラゲに台所担当の夫は迷惑を被っていたようですが、
今回また同じような菌床を発見した夫は「あれ!また?(カビ育てるの?)」とあっけにとられていました。
今回はしいたけね。
取れたてはヒダ部分が雪化粧のように美しく、しばらく見とれてしまいます。
香りもよく、子供たちも喜んで食べています。


しいたけ


posted by miyuki at 11:08| Comment(0) | とりまく家族のこと

2009年07月16日

本音

今日からリコはお泊まり保育のため、早朝から大型バスで出発しました。
家族と離れて泊まるのは初めてでも、この日をとても楽しみにしていました。
大好きな馬とアイスクリームがあるからね。
お泊まりしても安心して身を置けるお友達や先生ができたのだなあと
感慨深くおもいます。

そんなわけで、明日の夕方までリコのいない生活。

姉のミチはリコのお泊まりタイムスケジュール表を見て
今はご飯を食べてる、今頃花火をやっている、もうあと20分でねるんだよ!
と何かと気になる様子。
いつもなら口げんかをしている時間かも。
「リコがいなくて淋しい?」と聞いてみると小さくうなずいて
「なんか、つまらない」と素直に言っていました。
時に「一人っ子がよかった」と口を滑らすこともあるミチの本音。

ユイもリコがいない夜に「淋しい」と言っていました。
喧嘩も多いけどやっぱり側にいて欲しい、ユイの本音。

そして父。
夕飯時「あ、今日はリコがいないのか! あ〜楽だな〜」と。
子供が寝た後も「リコがいないのって…楽だな〜」
毎日夕方から寝るまで、ほぼ付きっきりで世話をする人の本音。


母の本音。
今日一日声を荒げることがなかったよ、エネルギーがいつもの半分くらいで済んでしまったよ、
きっと楽しく過ごしていると思うことで、淋しさを紛らわしているよ。

楽しい思い出ができるといいね。




posted by miyuki at 23:08| Comment(1) | とりまく家族のこと

2009年04月30日

音楽葬のはなし

5月3日は義父の命日で、ミチとジジの話になりました。

小さいミチをツンツンして遊んでいたこと、
ミチと母で九州に帰省した日の夜、ジジが亡くなったこと、
翌日とんぼ返りで東京へ戻ってきたこと、
ジジは自分の死を知っていて、お別れの会で流す音楽を決めていたこと、
その音楽にミチも含め家族が包まれることを望んでいたこと、
病室のベッドでモーツアルトを聴きながら頭からタオルをかぶりびしょびしょに泣いていたこと。

そんな話をして、ジジが託した音楽を聴きました。

これまでも何度かジジの話はしたことがあるけど、
家族から変人扱いされ奇妙キテレツな人だったと散々に
聞かされていたので、いつもはさらっと流していました。
でも今日は音楽を聴きながら、ミチはぐしょぐしょに泣きました。

リコは話を聞いていたのか知りませんが「この音楽すきー」と言っていました。
リコにもいつかジジの話がわかるときがくるといいなと思います。




追記***

…という話を翌日ババ(亡くなった義父の相方)に話したところ
「ばっかだね〜」と大笑いしていました。
あぁ変な家族だ。
posted by miyuki at 23:06| Comment(0) | とりまく家族のこと

2009年02月17日

抗体としての夫

私の夫つまりはリコの父親ですが、彼には特殊な能力があるようです。
それは、アスペルガー症候群の人を惹きつける不思議な魅力(?)。
暴れるウイルスを体内の抗体ががっちりはまって力を抑えるように、
アスペルガー抗体とでも言うべきか、とりわけアスペルガー症候群との相性が
良いように思います。

現在夫の身近なところに3人のアスペルガー症候群系の人々が濃く関わっています。
子であるリコ、妻である私、そして最近知り合った男性。
3人ともしつこいくらいに関わりを求めます。独占したいという欲求が皆にあるようです。
最近知り合った男性は、知り合ってから急激に親しくなりましたが
後になってアスペルガー症候群の人だとわかりました。

なぜか夫の周りに集まる(群がる)アスペルガー症候群。
アスペルガー症候群の特徴をもちながらもそれを活かしつつ
ユニークな人生をおくった家庭に育った彼だからこそ、
アスペルガーに対して柔軟性があり、理解力と関心が妙に高いのかもしれません。
多様な価値観を認め実行を後押ししてくれるところに
私たちが惹かれる理由があるような気がします。

夫もユニークな人物との生活を楽しんでいる、と思いたい。


posted by miyuki at 22:34| Comment(0) | とりまく家族のこと

2009年02月10日

遺伝

アスペルガー症候群の原因ははっきりとはしていないようですが、
出生前後になにかしら脳に影響があったとか遺伝だとか言われているようです。
いくつかの関連書を読んでみると、アスペルガー症候群の親やきょうだい、親戚にはアスペルガー症候群とは診断できないまでも
その症状をいくつか持っている人が多いようです。

リコの祖父はもう他界しましたが、多分にアスペルガーの要素を持っていたように思います。
小さな音に敏感で一つのことにかなりこだわりがあり、
それを続けたゆえにその世界では名の知れた人になっていました。
宇宙人とか変人とか呼ばれていましたし、そういうあだ名が
またぴったりとくる変わり者でありました。
そしてまた祖母もしかり。小さい頃から名前を呼ばれても聞こえなかったそうで、今でも何かを考えているのか、話しかけても聞こえないときがあります。
芸術に秀でた叔父にも傾向があるように思われます。

そしてアスペルガー症候群の症状などを本を読んで知った夫は
「君もだね」と指摘しました。
私もそうなのだと。
小さい頃からのことを思い出してみたり、日頃のことを考えてみたりすると
たしかに当てはまることがたくさんあります。当てはまらないこともありますが。


個性やキャラの範疇なのか障害なのか。
そんな線引きは重要ではなく、一人の人間がすべてを受け入れてもらえる理解者と
適した職業や環境に身を置くことが、うまく人生をおくるコツなのですかね。





posted by miyuki at 00:00| Comment(0) | とりまく家族のこと

2009年01月22日

姉ミチの苦手

0歳のころからミチは子供が苦手でした。
お友達が近くに来ると、かちかちに固まって緊張し
母に助けを求める目を向けていました。
「ここを離れないで!」とでも言っているような。
何をされるかわからない、自分が危ない目に遭うことに
極端に敏感であったと思います。
この子供嫌いは、その後も一貫していて公園に行っても
滑り台で誰かが遊んでいれば決して近づかず、誰もいなくなったのを
確実に確認してから一人で遊びました。
お砂場でもそうだし、とにかく子供がいる場所はほとんど動きが止まってしまう状態でした。
なので、児童館には行ったことがありません。
無理矢理連れて行って慣れさせる方法もありましたが、
それは私が無理でした。
親子が大勢揃う場所に、母もまた行けないのでした。

幼稚園もほとんどを先生と過ごしました。
無秩序な園庭より先生とのカルタ遊びや折り紙を楽しんでいました。
(3年ほぼ一緒に過ごした先生は、いまでも大の仲良しです)

そして苦手な子供だらけの小学校。先生もかかりっきりにはなれません。
ミチは入学して1ヶ月間、毎朝泣いて朝校門まで送らないと
学校に行けませんでした。
授業中や休み時間も時々泣き出したりしながらもなんとか通っていましたが、
今度は夜中に腹痛と吐き気を訴えその後何日か通うことができませんでした。

ミチは子供が苦手なこと、休み時間に過ごす方法がわからないこと、
触られたり押されたりすることを極度に嫌っていること、
大人を頼りにしていること、などを先生に伝え、
休み時間などに少し気を配っていただけるようにお願いしました。

先生の配慮もあり、だんだんとミチは自分で(割と楽しく)学校に
通えるようになりました。

一年生の頃から月に一度のペースで高熱を出し、そのたびに4.5日休んでしまいます。
病あけはやはり、休み癖がついてしまい気持ちを学校に向けることが
なかなか難しくなります。

今週、月火水とまた熱でお休みしたミチは、いよいよ明日から学校に
いかなくてはならず、夜遅くまでシクシクと泣いていました。
泣き疲れて寝ましたが。
きっとがんばって一日行けば「今日楽しかった、学校」と帰ってくると、いつものことながら想像はできますが、
まだまだ変わらず苦手なんだな〜と思いました。

想像するほどに悪いことはないよ。きっと。


posted by miyuki at 00:04| Comment(0) | とりまく家族のこと